物語考>教師と憧れ

今、ドラマでは「青のSP」を見ています。

聞くところによるとドラマとして鉄板物には「病院物」「警察物」「学校物」の3つがあるそうで、その内の「警察」「学校」の2つをミックスしているドラマという点が新しいと思います。

教師や生徒間の暴力がお咎め無しの時代を生きた者としては、「イジメは犯罪だ」という台詞はスカッとします。シンプルなのに、それまで意識にのぼることのなかった発想ですね。いい時代になったと思います。

それにしても思うこと。先生が大変なのは理解できるけど、生徒も自我の発達の過程にいて大変で、大変な者ばかり同じ空間にいるこの学校システムは、本当に危ういものではないかと。

私はどうも教師には疎まれるたちだったらしく、ほとんどいい思い出がありません。小学校教師になった幼馴染から「教師は、いくら教えても伸びない子も、あんたみたいに1人で勝手に勉強して高成績とる子も、嫌いなんだよ」と言われました。存在意義を否定された気がするからだとか。そんなこと言われても。でも、それで謎は解けました。

また、子供の頃からひとり好きで、ヒエラルキーのトップに立つことに執着するタイプの同級生に、たびたび目をつけられて執拗なイジメにあっていましたが、その「ボス猿」は、私の知る限り全員教師になりました。私が目をつけられて嫌な目にあわされた教師たちの謎も、これで解けました。

一方、「この先生がいてくれたから」と感謝したい人たちはいます。私は、好奇心でキラキラしたタイプの先生と、哲人の空気感を持った先生が好きみたいです。

 

話は変わって。

岡田さんが中学時代憧れていた先生、いつぞやテレビでお見かけしました。子供たちにラグビーを指導しているところが、穏やかなのに熱くて、岡田さんの言われた通りのカッコいい人でした。インタビュアーが「岡田さんが先生に憧れています」と伝えたら、照れてらっしゃるのが素敵でした。

しばらく経って、テレビの企画で、岡田さんが子供たちにアクションの指導をしました。それを見ていて、ふとデジャブ。憧れのあの先生にそっくりだ、と。

静かなのに熱くて、教えているのは確かにアクションでラグビーではないけれど、それを通した普遍的で大切なことを何としても伝える、という気迫がそっくり。それって、教わる側にとっても、自分たちが「進歩していく者」として敬意を払われてる事でもあります。

厳しい練習にも挫けず、子供たちがきっちりついてくるところも、この信念あればこそでしょう。

その日から、こんな仮説が立ち上がりました。

「人間は、自分が憧れた人になれる」

もしくは「人間は、なれる可能性のある人に憧れる」

私が憧れていた友人のお母さんは、私の「母親モデル」でしたが、娘との関係性なども考えると、何とか近づけた、成功した、と思います。「ああはなりたくない」という台詞より、「あんな風になりたい」の方が人生には美味しい、と確信した次第。

 

今日はここまで

では